2月になりました。

冬季オリンピックが北京で開幕しました。

私は、アスリートの試合後のインタビューやコメント、その中でも、試合に負けたアスリートのコメントに注目しています。

先日の女子モーグルで、決勝の一本めから二本めに進めなかった星野純子選手は、「笑顔で終わりたかったんですけど、少しそこは悔しいなという感じです。今大会はすごく、緊張はしたんですけど、自分の感情とかを全て感じて、臨めた五輪ではありました」星野選手は、前回出場したソチ五輪では、緊張のあまり自分を失ってしまったけれど、今回は、緊張する自分を感じながら競技できたそうです。

星野選手は、小学6年の時に、五輪で活躍する上村愛子選手に憧れて競技を始めました。14年W杯(カナダ)3位で同年のソチオリンピック出場を果たすも15位に終わる、16年に左膝前十字じん帯断裂の大けがで18年平昌五輪出場は逃しました。前十字じん帯断裂は、選手生命を左右するほどの大ケガですが、そこから再起を果たして、20年W杯(田沢湖)は自己最高の2位と好成績を残し、その後の国内予選を僅差で通過して北京オリンピック代表選手の座を獲得しました。

星野選手が憧れた上村愛子選手は、長野オリンピックから5回にわたって冬季オリンピックで活躍、長野では7位、その後、6位、5位、4位と順位を一つずつあげて、W杯でも種目別年間優勝も果たして、次はメダル獲得と私たちファンも期待して臨んだ2014年ソチオリンピックで、またしても4位に終わり引退しました。

2010年バンクーバーオリンピックで4位に終わった競技終了後のインタビューで、「何で、こんなに一段一段(7→6→5→4位)なんだろうと思いましたけど……」と涙ながらに語った上村選手の姿は今でも忘れられません。W杯種目別年間優勝を果たして「金メダルを獲得して引退する!」と、強い気持ちで挑んだバンクーバーオリンピックが4位に終わってしまった時、プツンと糸が切れたかのように、競技から離れてしまったそうです。

その後、再起を果たした上村選手が、最後のオリンピックとして臨んだソチオリンピックで4位入賞を果たした競技後のインタビューはこうでした。「こんなに何本も滑るオリンピックは初めてで、決勝ではメダルが獲れなかったけど、とても清々しい気分です。3本共に全力で滑れたことで、点数も見ずに泣いてました」「ソチを目指そうとした時、又(メダルが)取れないとか取れるとか、そういう場所に戻る自信は持てなかった。最高の滑りをしたら取れるかもという所まで来れたのが、凄く嬉しい」と、目を潤ませながらも笑顔を浮かべていました。「今回の五輪は良い想い出で終われるんじゃないかと。メダルは無いんですけどね(苦笑)。そこは申し訳ないとしか言いようがないんですけど、頑張ってよかったなぁと思っています」。

二人の選手は、大きな挫折ののちに再起を果たしたものの、期待されながらもメダルを獲得できませんでした。それでも、一度は挫けても再起を果たすことができたこと、メダルが取れなくても自分を信じきった二人の姿は、私の心にしっかりと刻まれました。私が最も大切にしたい共通点は、最善を尽くして、自分を見つめながら競技に臨んだという点です。

さて、この二人は特別な才能に恵まれた人、私たちとは無縁な人たちでしょうか。そうではないと私は思います。二人から学ぶことは、発達障害かも知れない人も、失敗を受け止めて頑張ること、頑張れなくても何とかしたいと思うことの大切さです。そのためにどうしたら良いかご一緒に考えましょう。
(この記事は、関連する新聞記事なども引用しながら書きました。)

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